龍善寺の概要
-
龍善寺は江戸時代初め1638年(寛永15年)に創建されました。
宗派は、親鸞聖人を宗祖とする真宗(浄土真宗)大谷派(いわゆる「お東」)であり、本山は、京都・東本願寺になります。
当寺の本尊は、親寺である三河(現在の愛知県岡崎市)の「上宮寺」より移された阿弥陀如来像であり、約800年前の鎌倉時代初期の作と言われ、新宿区の文化財に指定されております。
現在の住職(平松浄心(法名 釋淨心)1958年生)は、当寺の14世住職になります。
当寺の有る東京都新宿区早稲田町周辺は、早稲田大学をはじめとする学校や公園が多い文教地区となっておりますが、一方で、当寺は、早稲田通りに面し、地下鉄東西線「早稲田」駅から徒歩1~2分といった交通至便の地にあります。春の「永代経」、秋の「報恩講」、「法話会」、「旅行会」等の行事もございます。また最近では、後継者にお悩みの方のための墓地である「早稲田永代供養墓(後継者、仏教の宗派、無宗教不問)」が完成し、また、通常の区画墓地(過去の宗派不問)も新規に造成しております。どうぞ何なりとご相談、お問い合わせください。
※正面建物玄関受付にお越し下さい
龍善寺は浄土真宗(真宗大谷派)のお寺です
浄土真宗の教えにつきましては宗派のホームページをご覧下さい。
-
行事案内
-
- 報恩講毎年11月3日、4日
宗祖親鸞聖人の御恩に報いるべくお勤めされる浄土真宗の年間最大の行事です。
報恩講の時だけのお勤めや報恩講法話を聞きにお越し下さい。
-
- 永代経毎年5月3日、4日
代々の有縁無縁全ての方のご供養とともに、先祖から受け継いだお念仏やその教えを子、孫に伝えていくための行事です。皆様で「正信偈」をお勤めいただき、永代経法話を聞きにお越し下さい。
-
- 法話会隔月1回、偶数月第2火曜日午後
毎回講師をお招きしてお話を聞かせていただきます。「法話を聞く」ということが、浄土真宗における唯一の修行かもしれません。ぜひお越し下さい。
※ 日にちは、行事案内をご覧ください。
-
- 旅行会年1会
全国各地のご旧跡を巡りながら、当寺にご縁のある皆様相互の親睦を深めていただく旅行会です。お一人でもご参加いただけますので、お気軽にどうぞ。
龍善寺の歩み
龍善寺は1638年(寛永15年)に創建
龍善寺は江戸時代の初め三代将軍家光の頃、1638年(寛永15年)に創建されました。宗派は真宗(浄土真宗)大谷派(お東)であり、宗祖は親鸞聖人、本山は京都・東本願寺になります。そもそも当時は、三河(現在の愛知県岡崎市)にある上宮寺の江戸支院として開かれました。
上宮寺は、聖徳太子により、当初奈良において法相宗の寺として開かれたと伝えられ、わが国への仏教伝来以来の1500年近くの歴史を持っております。その後天台宗となり三河の地に移り、この地で盛んになる聖徳太子信仰の中心となっていきます。
-
三河の上宮寺
鎌倉時代に、浄土真宗の開祖であり、聖徳太子を深く敬っていた親鸞聖人は、20年間滞在した関東から京都に帰る途中、三河の地にしばらく留まります。親鸞聖人の説く念仏の教えに触れ、この地では、これ以降浄土真宗が盛んになり、上宮寺は浄土真宗の中でも最も古い信者(門徒)集団の一つである三河門徒の中心寺院として栄えていきます。そして、上宮寺は全国に100寺以上の支院を有し、京都の本山につぐ、中本山といわれるようになっていく訳です。
-
上宮寺より移した阿弥陀如来の立像は、新宿区の文化財に
江戸時代になり、三河から江戸に出て来た方々から、その上宮寺の本尊をぜひ江戸でもご開帳してほしいという声に応えて、その本尊をご開帳する寺として当寺は建立されました。本尊はやがて上宮寺に戻ることになる訳ですが、代わりに当寺の本尊として上宮寺より移した阿弥陀如来の立像は、800年前の鎌倉時代の作と言われ、新宿区の文化財となっております。また、上宮寺の本尊を戻す際に発見された胎仏である聖徳太子の像も当寺に保存されております。
残念ながら、上宮寺は1988年(昭和63年)に火災で伽藍、本尊とも焼失してしまいますが、現在では立派に再建されております。
-
2011年12月に新本堂が完成
2011年12月に新本堂が完成し、早稲田納骨堂もグランドオープンを迎えました。ご門徒さま、近隣の皆さま、多くの方のご協力を賜りまして本当にありがとうございました。
皆様からのご恩に報いるべく龍善寺は新たにスタートいたします。
浄土真宗について
浄土真宗は、鎌倉時代に親鸞聖人によって開かれました。普通に生活するわれわれが、普通に生活しながら救われる道(=念仏の道)を説かれました。
浄土真宗の救いは、自分からお願いして救ってもらうものではありません。
すでに、私たちの所に、阿弥陀仏の救いは届いているのだと思います。
後は、そのことに私が気付けるかどうかだと思います。
浄土真宗では、「悟る(さとる)」という字をあまり使いません。代わりに「覚
る(さとる)」という字をよく使うのも、その教えから来ているのでしょう。
また、住職が「覚った人」で、住職が信者に教えを説くということでもありません。
住職も、信者(=門徒。浄土真宗の信者の方を門徒と言います。)のひとりとし
て、今、念仏の道を歩んでおります。
住職と共に同じ方向を向いて歩んでください。
親鸞聖人も、同じように念仏の道を求め、歩んで行く人々を「御同行(おんどう
ぎょう)、御同朋(おんどうぼう)」として尊敬し共に歩まれて行ったのです。
-
浄土真宗「真宗大谷派」本山 東本願寺
"東本願寺は、浄土真宗「真宗大谷派」の本山で「真宗本廟」といい、御影堂に は宗祖・親鸞聖人の御真影を、阿弥陀堂にはご本尊の阿弥陀如来を安置しています。宗祖親鸞聖人の亡き後、聖人を慕う多くの人々によって聖人の墳墓の地に御真影を安置する廟堂が建てられました。これが東本願寺の始まりです。
東本願寺は、親鸞聖人があきらかにされた本願念仏の教えに出遇い、それによっ て人として生きる意味を見出し、同朋(とも)の交わりを開く根本道場として聖人亡き後、今日にいたるまで、門徒・同朋のご懇念によって相続されてきました。
親鸞聖人は、師・法然上人との出遇いをとおして「生死出ずべきみち」(凡夫が 浄土へ往生する道)を見出されました。人として生きる意味を見失い、また生きる意欲をもなくしている人々に、生きることの真の意味を見出すことのできる依り処を、南無阿弥陀仏、すなわち本願念仏の道として見い出されたのです。
それは混迷の中にあって苦悩する人々にとって大いなる光(信心の智慧)となり ました。そして、同じように道を求め、ともに歩もうとする人々を、聖人は「御同朋御同行」として敬われたのです。
詳しくは、東本願寺のページをご参照ください。